◆ 目 次 ◆
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先生は,温厚で誠実なお人柄から,教官や学生の信望が厚かったばかりでなく,国内外の関係者からも信頼を一身に受けておられました.報道関係者からも,真摯な取材対応が高く評価されていました.難解な数式の意味を平易に解説するという能力が学生時代から抜群であったことや大地震発生のたびに「リアルタイム」で議論を交わしたことは今となって懐かしい思い出です.世界の研究者からも常に注目され,地震学界の力強いリーダーであった先生を突然失ったことは痛惜の念にたえません.
(阿部勝征) |
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菊地先生は実に想像力の豊かな方であった。先生の仕事ぶりは単なる地震の解析にとどまらず、地震のイメージを巧みなマンガで表現し、その先にある真理を明らかにする、という手法である。これを支えているのが我々の想像を絶する先生の豊かな想像の世界である。先生の解析は、先生の想像の世界にある真理を客観的に説明するための一つの手段であった。先生が大学院生に地震の解析を指示したときは、そこに何かの真理を予見しているときである。それは解析が済むまで我々の知るところとならない。先生の頭の中にはまだまだこういう未知の真理がたくさんあったのだろう。我々はそれをもう知ることはできない。実に残念である。
(鷹野 澄) |
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菊地先生の病気がわかった時、我々は「病気でもこれまで通りに接する」ことを約束しました。お互いに辛いものはありましたが、約束通り最期まで病気の話をすることなくいつも通りの会話をしてきました。最期の最後まで一緒に
研究ができたことは私の一生の宝物です。菊地先生から学んだことは研究面だけでなく人間くささ、人のやさしさ、暖かさだったと思います。自分の人生を振り返ってこれほど楽しかった時はありませんでした。未だにふとただいまと言って帰ってくるような気がします。
菊地先生のことは絶対に忘れることはないで しょう。ありがとうございました、菊地先生!(山中佳子)
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私は菊地先生のほぼ1年後に情報センターに着任しました.EICニュースレター創刊1号の挨拶は菊地先生ですし,センター新スタッフ紹介は私でした.菊地先生はスポーツマンでもありました.見た目は細いですが,肩が強くてキャッチボールをするとグラブをはめていた左手が痛くなるほどでした.又バドミントンもお好きで学生さん相手にドロップショットを連発し学生さんが悔しがるのを非常に楽しんでいました.研究面では本報告にもありますが,GRiD
MT(はじめはGRiD CMTと呼んでいたのですが,菊地先生のご指摘で変更しました)のシステム改良を菊地先生と進めるはずでした.先生が提唱したリアルタイム地震学を私なりに工夫して発展させていこうと思っています.
(鶴岡 弘)
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菊地先生と仕事でご一緒したのは古地震記象委員会が発足してからでした.記象紙を整理するために専門家が欲しいと言われて元助手の岩田氏とこの仕事をすることになりました.煤書の記象紙を整理,調査するのは大変でしたが,この記録はこれからの地震学に必要と説かれました.そして思いがけず岩田氏が菊地先生の推薦をえて震災予防調査会賞を受賞されたことは大変嬉しく思いました.報われにくい仕事にも目配りをして励みになるように考えるお人柄を今では偲ぶことしかできません.温泉と自然と研究を心から愛でていらした先生に合掌.(野口和子) |
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