EIC news letter No.21

本号の目次

地震研究所を去るにあたって(桧山 澄子)
平成13年度計算機利用継続申請のお知らせ(鶴岡 弘)
計算機雑感 −計算機と共に過ごした私の半生−(桧山 澄子)
EIC地震学ノート(菊地 正幸・山中 佳子)


地震研究所を去るにあたって 檜山 澄子


 35年近く勤めた地震研究所情報センターを去るにあたって,ここ数年,身辺で特に変化の兆しが激しいと感じる二つの事柄を愚考してみます.

 まず第一は情報技術(IT)の爆発的な展開です.どこかの国の総理の的T革命狽フ音頭とりを待つまでもなく,インターネットを利用した情報伝達技術は,ときには勝手に,思わぬ方向に利用されてきています.

 従来は,インターネットやeメールはコンピュータ抜きには考えられないことでしたが,ここ一,二年の間に,コンピュータとモデムを取り払い,いきなり電話機に画面をつけたiモード電話機で,手軽にこれらが利用できるようになっています.

 ゴミ情報の中から必要な情報だけを拾い出すため,毎日1時間以上の時間をかけてきた身が,この定年を機に,情報の氾乱、情報の洪水から開放されると,最近ホッとした気持ちになっています.

 つぎに,第二は,女性の社会進出です.いまから4年前の1997年に,東大女性研究者懇話会主催で,−21世紀を女性科学者の世紀に−というスローガンで,公開シンポジウムを開いたことがありました.私もその委員の一人だったのですが,それから4年間に,責任あるポジションを得た女性研究者も一段と増加し,いくつかの学会でも,1割程度の女性役員を選出しようという動きがあります.ごく近い将来,性差別などまったく意識されなくなり,後輩の彼女たちが「自分がこの地位を得たのは,ひとえに自分の努力と実力だけによるもの」と言い切れる時代が,すぐそこまで来ているということです.

 顧みますに,小舟ながら常に情報発信側であるこのEIC,また歴史的には過去にパンチャーやオペレーターとして女性スタッフが大勢働いていたこのEICが,今後の時代の変化を上手にキャッチし,どのような航海をするか,楽しみに見守っていきたいと思います.





巻頭でも触れましたが,まさに計算機の歴史とともに歩んできた,この35年近くは,私にとって貴重な経験を送ることができた半生だったと思います.この期におよんで,私が在籍した間に導入,運用に関ったり,利用したりした計算機についてお話をしておきましょう.

1968年〜1969年時代
 まず私が最初に触れた計算機は,富士通製のFACOM 270/20 でした.これは宇都宮大学工学部に納入されていたマシーンです.当時,「地方大学にも1機ずつ計算機を導入せよ」という通産省のお声がかりで導入されたこのマシーンを管理すべく,私は新採用されました.写真1に示すように,当時のプログラム(FORTRANU)は,カードか紙テープで入力するというしろものでした.FACOM270/20 は32K語(1語16ビット)で,浮動小数点演算はソフトで行なっていました.写真の紙テープには,私がプログラムの勉強をし始めた頃に求めた素数の2〜10007が入っています.
                                                         写真1→  
1969年〜1975年時代
 コンピュータを扱うなら,中央で最新の計算機を使ってみたい.そういう気持ちで私は地震研究所の地震予知観測センター(EPOC)にやってきました.EPOCにはその1年前に導入された IBM 360/40 の計算機が動いていました.これは国立大学で最初に導入された外国のマシーンだということで,見学者もたくさん訪れてきていました.この360シリーズはIBMの歴史でも特筆するマシーンでした.

  もちろんプログラムはカード入力で,CPUのメモリは128Kバイトでしたが,すでに浮動小数点演算は32ビット,64ビットが使えました.プログラムやデータは今のように自分で入力するのではなく,専門のパンチャーに打ってもらい,入力してもらうシステムでした.EPOCにも8名程度の女性(アルバイト)が,パンチャー兼オペレーターとして働いていました.
 東大大型センター(現基盤センターの前身)には,日立製のHITAC5020 が入っていました.ターン・アラウンド時間(計算に出してから計算結果を得るまでの時間)は1日〜3日という時代でした.
 この1971年に地震研紛争が起ったため,私は大型センターの併任助手になり,1972年に更新されたHITAC8800の運用マニュアルの作成や,固有値を求めるプログラムの開発などをしていました.当時エラー・メッセージがローマ字で出力されていたものが,この8800から英語になりました.TSS利用も本格化してきました.

1976年〜1980年時代
 地震研究所では,IBM370/125に機種が更新され,科学計算はこのシステムで行い,特殊I/O(プロター,X-Yリーダー,AD変換機,グラフィックス装置)はミニコンIBM S/7でサポート,二つのシステム間のデータ交換はMTを介して行なっていました.370/125のメモリは256Kバイト,磁気ディスクは70Mバイト1台を装備していました.計算機の利用料金は徴収していましたが,17時以降は各自がオペレーションを行なって安い料金で使用できました.そのオペレーションは免許制を採っていました.
ー1980年〜1982年時代
 1979年に地震予知情報センター(EPDC)が全国共同利用センターとして発足するに伴い,計算機もIBM370/125からIBM3031に更新されました.人事の変更もあり,EPOCは全国7ヶ所にある地域センター間で,地震データのデータベース化を行なう共用システム室と情報処理室へと移行しました.計算機室も,本館601号室から,現在講義室のある新館に移りました.3031システムには複数のOSをサポートする仮想計算機システム(VM)が使われていて,CMSと呼ばれる端末ごとに独立した仮想計算機により画面単位で操作できるようになり,カード入力からやっと解放されました.各地域センターには,データを標準化するためにIBM S/1を設置し,3031のデータベースに取り込むようにしました.念願の静電プリンターも接続されていました.

1982年〜1986年時代
 地震データのオンライン収集が本格化するにつれ,一般の科学計算をしながらデータベースマシーンとしても使うには,1台の3031では能力的に無理があるため,IBM4341を2システム導入し,それぞれの業務を分離させました.その頃私は,地理情報GISのはしりである「震研地図システム」の開発を手掛けていました.

1986年〜1995年時代
 世の中では,IBM互換機が圧倒的になり,互換機なら国産のシステムでも問題がないということが解って,地震研究所の計算機は,それまでのIBM社製から,日立製のHITAC M-280Hに変更されました.科学計算,地震データベースは従来の構想を引き継ぐ一方,新たに地殻変動オンライン・データベースの収集システムも開発されました.1988年には所内LAN開始,LAN上のPCやWSからTelnetやFTPでの利用が可能になりました.
 1991年にはホスト計算機がM-680Hに変更,クライアントワークステーションから利用するためNFSサーバーの機能も持たせました.その後,世間では汎用機の利用からしだいに離れ,WS利用が一般化してきました.特に科学計算はSUN WSで行なうのが一般的になりました.今まで私の個人のWSに導入使用していたフリーソフトのTeXやLAPACKを始め,IMSLライブラリなども全体で使えるように公開しました.PCもまだMACやNECマシーンが全盛時代でしたが,DOS/VS,Windows 3.0 (128Kバイト)を最初に導入WS並みの導入を目指してきました.ネットワーク接続のカラープリンターも導入,WS,PCから使えるようにしました.

1995年〜1999年時代
 1995年6月に改組があり,計算機室は地震予知情報センターとして,全国共同利用になりました.
 計算機発展の過程からみると,この時期は,いわゆるベクトル機や汎用機から,さらに安価で性能の良い並列計算機へと移り変わる時代で,OSもUNIX系が一般的になってきました.
 当センターでも,使い勝手の良い共有メモリ型のCRAY CS6400 並列計算機(32CPU)を導入しました.従来VOS3で使用していたファイルもほとんど問題なくUNIXのファイルに移行できました.PSプリンター,カラープリンターもネットワーク経由で使用できるようにしました.

1999年〜
 新機種がめまぐるしく生まれ変わる中,SGIのOrigin 2000を導入,今日に至っています.PCでもWindowsだけでなくLinuxも一般的になりつつあります.

2001年〜
 私が非常勤講師をしている埼玉大学には,HITAC SR8000とOrigin 3000(Origin 2000の後継機)がこの3月導入されました.コンピュータ教育にはPCが使われ,LinuxとWindows 2000を利用できるようになっています.SR8000は分散メモリ型ですが,1ノード内でSMPとしての利用が主として提供されています.さっそく,ベンチマークテストなどを始めているところです.
                                          


EIC地震学ノートより抜粋


今年に入ってから、1月13日のエルサルバドル地震(Mw7.6)、1月26日のインド西部地震(Mw7.5)と大きな被害地震が発生しました。このうちインド西部地震を取り上げます。

EIC地震学ノート No.98  Jan.26,2001
遠地実体波解析
2001年1月26日インド西部の地震(Ms7.9)



概略・特徴:26日8時46分(現地時間)インドのグジャラート州(パキスタン国境付近 図1)を震源とするMs7.9(USGS)の大地震があり、死者は1万数千人(一部報道では数万人)を越えたと伝えられています。USGSの震源速報は次の通りです。
発生時刻 震央 深さ Ms
03:16:41(UT) 23.40°N 70.32°E shallow 7.9


データ処理:IRIS-DMCから18点の広帯域実体波(P波上下動とSH成分)を収集しました。パルス幅が約10秒の比較的単純な波形です。初めに、点震源を仮定してメカニズム解を求め、次いで、P波節面のそれぞれを断層面とみなして、断層すべりの時空間分布を求めました。

結果:右図に結果を示します。メカニズム解(図2)は南北圧縮のほぼ純粋な逆断層型です。2つのP波節面のうち、低角面(北傾斜)を断層面とした場合のすべり分布を図3に示します。図の右が西、矢印は上盤が衝き上がる方向です。主な震源パラメータは次のとおりです。
 (走向、傾斜、すべり角)=(276, 33, 105)
 地震モーメント Mo = 2.6x10**20 Nm
             (Mw = 7.5)
 破壊継続時間    T = 約20 s
 破壊開始点の深さ    H = 15 km
 断層面積 S = 60x30 km**2
 食い違い  D = Mo /μS= 4.8 m (μ=30GPa)
 応力降下 △σ= 2.5 Mo/ S**1.5 = 8.5 MPa

解釈その他:規模の割にすべりの範囲は狭く、応力降下は高めです。インドプレート内部の逆断層と思われます。最大すべりが震源からやや西(図3では右)寄りの10-20km付近に見られます。



平成13年度計算機利用継続申請のお知らせ

来年度の計算機利用継続申請手続きを行っています.締め切りは4月10日です.地震研究所教職員以外の方で来年度も引き続き利用を希望される方は,必ず継続手続きをしてください.メールや申請書のほかにホームページからも申請が可能です.
詳しくは,http://wwweic.eri.u-tokyo.ac.jp/computer/ をご覧ください.